いつもの風景は案外見落としがちで、無くなってしまえば元に何があったかさえ気が付かない。
水の様に流れていく時代と街とひと。
妄想エントリー4軒目、哀愁バージョン。
なかなか世知辛い世の中。
そうそう上手くはいかない。
しがらみと権利や法律、そしてそして....。
街の真中にあった商業施設を壊して駐車場。
たかだか20数台くらいの駐車場。
本当に作る意味(必要性)はあったのだろうか。
自分達のエゴだけではないのだろうか。
もっと未来の為に公園を作るとか、緑を植えるとか、もう少し可能性のあるのりしろづくりは出来なかったのか。
さて今回、そんな事をふまえつつの物件というよりはもはや空間。
中途半端に壊して残された不思議な空間はもはや意味がわからなく、駐車場に面した一辺が大きく口を開け中が丸見え。
目の前は駐車場なのでいい景色とはいかないが、南側に面している事と駐車場で辺りがひらけている事で
居心地は決して悪くない場所。
もちろん立ち入る事も使用する気配もないのだけど、これまた気になりすぎる。
見ようによってはかなり面白いだけに。
街の中ちょっと奥に潜むアーティーな異空間。
外に直結した空間、コンクリートの壁と天井。
物販や飲食は不可能。
大きな柱があるのでスポーツや運動にもキビシそう。
考えられる事。
コンセプトスペース/ゲリラスペース。
週替わりなのか、月替わりなのか様々なイベントの場所として提供。
若い才能と自由、勢いなアイデアを表現する場所。
1. 壁の多さを利用しての落書き場。
(例えば、こういう具合にグラフィティをアートとして作品として見せる空間として)
世の中に不平不満を持ち、自らを主張したいアナーキーなペインター達へ。
アート作品を作るという体で壁を太っ腹で提供。
自由にそしてダイナミックに壁を使って展示、主張してもらおうという試み。
上手くいけば海外からの大物だって来るんじゃないだろうか。
アートは生ものとして、どんどんペインターが変わりアートも上書きされていく。
時に寛大に明瞭に、人は街はこういう場を提供すべきだと思う。
そして、その積み重ねられたアートを本にして出版なんてビジネスも.....。
2. 誰もが使える、持ち込めるオープンフォトスタジオ。
(こういった具合で機材を使い、撮影が行われる風景、場面、場所がこんなところに....)
あまり長野では聞かれない場所。
天然光も入るし、照明を焚いても良いし、空間まんま創ってしまってもいい充分な箱。
広さやコンクリートの質感ともに、コンセプチャルな写真等を撮る際には良いのじゃないだろうか。
3. 半外半中で陽当たりが良い、街の中心地というとてつもない好条件のフリーテラス。
(簡易なベンチが並び誰でも共有できるスペース)
公園まではできないけど、しっかり緑を管理する人がいて。
フランスの植物学者でありアーティストでもあるパトリック・ブラン氏の「緑の壁」的な癒しな壁があったら更に良し。
そこにベンチを置けば。
近所の会社員やOLがランチする場所、通りすがりのお年寄りの憩いの場所、高校生のたまり場、暇な人の待ちぼうけ場所、
働かない人のさぼり場所、酔っぱらいの聖地にも。
なんでもないデッドスペースが、息を吹き返し、なんならちょっとした商売だって未知数な場所。
壊すかもしれないし、何かに作り変わるかもしれないリミテッド感。
なかなかお目にかかれない不思議なシチュエーション。
箱は特に何もする必要はないし、大した出費もなし。
自由に見えて堅苦しい実際。
何かに縛られて、見張られる世の中。
こんな事を考えて。
こんな事を実行する。
こんな事を訴えて。
こんな事を求めてみる。
人間とは想像力である。
でも、わかってる。
みんながみんな、僕の様でない事は。
注)あくまで個人の妄想であり、実在する建物の諸々は一切関知しておりません。なお不動産を斡旋、紹介するものではありません。
(2011/Nov/2 投稿)
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